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石川五右衛門の謎:京都の歴史に潜む盗賊伝説とアニメの関わりとは

以前調べた石川五右衛門の話をまとめたものです。

少々長いですが、どうぞ。

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石川五右衛門とは何者か


 石川五右衛門といえば、安土桃山時代に名を馳せた盗賊で、1594年に京都の三条河原にて一家と共に釜茹での刑に処されたことが有名だ。

歌舞伎や狂言に数多く登場し、アニメ『ルパン三世』にも子孫が登場するほど知名度の高い人物だが、彼は本当に実在した盗賊なのだろうか。


 石川五右衛門の出生地は、河内国伊賀国遠江国などの諸説がある。

幼少期の名は五郎吉で、幼い頃から悪さを繰り返していたとされている。

19歳の頃からは幾つかの俗説があり、伊賀に渡り忍者になった後、京を出て盗賊になったという説や、奉公した男の嫁と駆け落ちしたという説まである。

忍者については、他にも俗説があり、百地三太夫の弟子だという説もある。

その他にも、家臣木村常陸介から、太閤秀吉の暗殺を依頼される話や、実は大名一色の家老石川秀門の次男だという話など、さまざまな憶測や俗説が飛び交っているが、どれも信憑性に欠けており、不確定要素が多い。

●義賊として登場したこともある

 また、歌舞伎『楼門五三桐』での石川五右衛門は、国を盗もうとしている豊臣秀吉を止めようとする義賊として登場している。

南禅寺山門の場」にて煙管を持ち、「絶景かな、絶景かな・・・」というセリフを言う場面がとても有名だが、この場面には現実とは違う矛盾点が存在している。

現実では、実際に南禅寺の山門が建築されたのは1628年のことであり、石川五右衛門が釜茹での刑に処されたとされる、1594年には存在していない。

このことから、この舞台での石川五右衛門は完全に創作上の人物であることが分かる。


このように、数多くの伝承や俗説が広がり、事実が不明確だった石川五右衛門だが、近年発見された史料によって、実際に安土桃山時代に存在していたことが証明された。

安土桃山時代から江戸時代初期まで、日本に滞在していたとされる貿易商のアビラ・ヒロンが記した『日本王国記』によると「かつて都を荒らしていた盗賊集団がいたが、頭目が捕らえられ、京都の三条河原で生きたまま油で煮られた。」という記述がある。

ここに石川五右衛門の名は存在していないが、ペドロ・モレホンという宣教師が注釈を入れており「この事件は1594年のことである。油で煮られたのは、石川五右衛門とその家族であった。」と書かれているのである。

謎多き石川五右衛門。忍者なのか?

俗説や伝承での石川五右衛門についてだが、やはりどの説も後から書かれたものであり、個人の脚色が入っているように見える。だが、「盗賊」や「忍者」などのキーワードは一貫しているところがある。

これについては、石川五右衛門が盗賊であった為、処刑されたという事実から派生して忍者と伝わり、更に様々な地域の伝承と混ざり合った為に現在のような数多くの説が残されているのではないだろうか。


石川五右衛門が処刑されたことについては証明できる史料が見つかったが、彼の謎はまだ大量にある。

出生から生涯を終えるまで、そのほとんどが創作物や、信憑性に欠けている内容ばかりだ。

だが、石川五右衛門という人物が実在し、盗賊行為を行ったことによって、1594年に一家と共に処刑されたのは間違いないのではないだろうか。